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これはひょんなきっかけからBMW R50 1955年型
を再生することになった話。
時あたかもバブルの真っ最中。
何を思ったか、分不相応な事をはじめてしまった鮭的バブル記念である。
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話は87年にまで遡る。 国中バブル景気で沸き立っていた。好景気は永遠に続くかの如くで あり、会社員ふぜいでもゴルフ会員券、不動産投資などに現を抜かしていた頃である。私は能がないのでもっぱらバイクに「投資」をしていた。 当時、鮭夫は九州の福岡に転勤しており、そこで知り合った多くの友人とかつて無いほどのバイク三昧の日々を送っていた。 いまでも当時お世話になったみなさんとはお付き合い頂いている。 これは英国のサンビームS8。500CCで直列ニ気筒という珍しいレイアウトのバイクでおもしろ半分に英国のバイク屋から輸入した。 |
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ドイツのハークレスというバイクをご存知だろうか。 なかなか個性的なバイクを作り、保守的なBMWが ドイツのバイクだという印象を一掃してしてくれる。 なんせロータリーエンジンのバイクなどを作ってしまう のだから。 これはその50CCモデル。大変息の長いモデル で国産の50などとは作りの点でも動力性能でも頭二つ ほどぬきんでいた。大柄な車体は125CCにも見えた。 ホンダの販売店でカブかなんかの下取りに出ていたものを たった10万円で買いうけた。やっかい払いができたという 。新車価格が45万円とも聞いた。部品を得るため本社に まで手紙を書いた。ドイツマルクの高さには閉口したが部品は 誠実かつ丁寧に届いた。さすがドイツ人である。 後日、バイク屋を通じ売ったが23万円で売れて驚いた。 |
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これはNSUのスーパーマックス250CC。 知り合いのマックスにまたがり記念写真。 久留米旧車会でのスナップ。 実に楽しい転勤生活であった。 仕事はといえば、今思えばたいした責任 仕事で知り合えた方ともいまだにお付き合い |
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たかがスーパーカブとおもうなかれ。 これは、C−102という50CCながらセルモーター付きのカブである。 これを北九州の解体屋の軒先で見つけ即座に買った。即金で5000円だったか。 その方が曰く当時これを(カブ)買おうと思ったがとてもセル付きまで予算が廻らなかった。(セルでも廻らぬ金と首)というのである。カブとは高価でありました。解体屋の前は苅田あたりの薬やさんが持てたらしい。屋号が薄っすらと読めた。 たいした走行でもなくレストアはフロントフェンダーを探した |
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さて本題のBMWの再生時のスナップだ。 汚い塗装をアルバイトが必死になって剥離剤をつかって 剥いでいるところ。 結局、屋外でサンドブラスターで砂を撒き散らして剥離。 |
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錆が落ちたら下地の塗装。 タンクなども長年の歪みが来ている。 リアフェンダーは錆がひどく新品と交換した。 |
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塗ればこのとおり、フレームが命だから、この塗装をけちると あとあと悲惨なことになる。 特にBMWは塗装の美しさがものを言うバイク。 このへんは英国のバイクの方が気が楽ではないか。 BMWは融通のきかない美意識に取り囲まれていて辟易 |
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右側が現ナカノモータースの中野さん。 当時は福岡に店を構え「エンスティーブ」と称していた。 中野モータスも九州でも日本でも有数のBMWショップに |
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やるなら徹底的にということになった。 始めは塗装だけ頼みにいったのだが、まわりのBMWの それからというもの仕事で付近を通過するときはかならず 実に迷惑であったろうと思う。毒をくらわば、なにしろ全部やろうということになった。 |
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髭の男性が中野さん。 もう一人は鮭の友人の末石さん。かれは酒屋をついだが酒は私と同じでまるで飲めない。 だから彼とはお茶とお菓子で夜更けまでバイク談義 をした。 現在は姪の浜でファミマを経営しており、配達がなくなった分を本業のレストアにつぎこんでいるらしい。彼はとろけたような車体を見事に再生する。天職と 「お母さんは酒屋さん、お父さんはバイク屋サン」。といったとか。その娘さんももう中学生か。 |
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![]() あと僅かで完成である。しかし、鮭は完成を待たずに 転勤命令が出てしまうのである。 後日運ばれてきたR50は大変美しいものでした。 2年の車検が消えるまで乗ったが、以来10年あまりはそのまま 実家のガレージで眠りぱなしである。R50は美しいまま眠りつづけ ているのである。 |
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これは87年の十月に届いた手紙と領収書である。 生真面目な文字で東京に転勤して残念なことと、 しばらくは九州で乗って欲しかったとかかれている。 性格のままの真面目そのものな手紙である。 |