| The RIKUO News 陸王ニュース、昭和27年11月25日号No1 発行所 陸王モーターサイクル株式会社。東京都品川区北品 川3丁目287 電話大崎(49)代表3106 |
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社内報であり代理店への広報を目的に作られた陸王ニュースです。 「新車発表に際して」と社長の林禎助さんが巻頭に挨拶を寄稿している。 「菊薫る佳き日にとり行われた立太子式は、全国民に深い感銘を与えました。戦後まだ何となく溜まって居た胸のつかえが一篇にけし飛んで、爽やかな秋の清風が体内をスウーッと吹き抜けた思いでありました。」 と時代を感じさせる挨拶にはじまる。 「新車は、350ccのシャフトドライブ二輪車であり、年初以来の研究がいよいよ実を結び、月満ちてうまれたのですが・・・長兄の1200cc、次兄の750ccと同様同様末永く可愛がってください。」 |
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左が当時の稼ぎ頭であった陸王RQ型、しかしハンドチェンジ3段、速度もせいぜい100キロ程度、舗装路が
少なかった昭和20年代には充分な高性能であった。トーハツをはじめとして戦後の新興勢力の前に軽量の
実用バイクの販売を迫られる。そして当時の常識的な判断として高性能、高品質のイメージの高かった独逸
BMWのシングルを参考にすることとなる。しかし、皮肉にも品質にこだわったことが販売の足かせとなる。
性能、品質とも評価はされたようだが大型の陸王のイメージが強すぎたことと350ccの自動2輪は高価であり
後に250ccを販売するが、シングルの時代は徐々に遠ざかっていった。結局、革新的な技術開発も進まぬまま骨董的な750ccを創りつづけるより方策はなかった。誇れる伝統にこだわりすぎた事が時代の変化を受け入れられなかったということだろう。今も昔もそれは変わらない経済活動の非情さと言えよう。
栄光の時代
Time
of Gloly
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RIKUO RQ750CC of Police and girl 昭和30年くらいの画像であろうか。(1955?)少女がこぎれいである所を見ると宣伝用か。 白バイと言えば陸王である。国産の四輪車はせいぜい90キロ程度であり加速はのどかなものであった。白バイの仕事は説教を垂れる事 でもあったと聞く。 陸王の価値はこの威厳あるスタイルにある。 白バイはこの後、目黒のツインの500CCが主流となるが、ホンダのCP77(305CC)CB450などがメインであった時代にもカワサキとなったW1など多少混じっていた。(白バイには詳しくないので正式名称はご容赦を) メーカーにとって営業的には白バイに採用されると言う事はおおいに宣伝になったに違いない。 陸王の顧客は警察など官庁のほか新聞社、企業のオーナーなど限られていた。庶民の手の届くような価格ではなかった。 |
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総勢80台の陸王とある。 RQ型の白バイ。 パトカーの時代ではなかったということだろう。 陸王ニュースには昭和30年8月とある。 RIKUO RQ 1955 Ceremony of Police |
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昭和31年の新年の写真。 警察は大阪府警。 Police of Oosaka City Ceremony of New Year1956 |
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RIKUO MOTOR CICLE
Co Ltd was Located Sinagawa Tokyo near by Sony co. But
Sony was smoller than them in 1950. 1923 Sankyo co
imported and sell H-D Motorcycles. 1938 RIKUO type 97 for
Army model. 97式軍用車生産開始 Main gate of Rikuo Motorcycles. |